THE ALFEE 最新情報

45th Anniversary Best Hit Alfee 2019 秋の乱 Battle Starship Alfee II

10/03 (木) 府中の森芸術劇場どりーむホール
10/05 (土) 宇都宮市文化会館
10/12 (土) 仙台サンプラザホール
10/13 (日) 會津風雅堂
10/17 (木) 相模女子大学グリーンホール
10/19 (土) 富士市文化会館ロゼシアター
10/20 (日) アイプラザ豊橋
10/27 (日) 東京国際フォーラム・ホールA
11/03 (日) 神戸国際会館こくさいホール
11/04 (月) 守山市民ホール
11/06 (水) 大宮ソニックシティ
11/10 (日) 桐生市市民文化会館シルクホール
11/16 (土) 福岡サンパレスホテル&ホール
11/17 (日) 佐賀市文化会館
11/20 (水) 神奈川県民ホール
11/23 (土) ふくやま芸術文化ホール リーデンローズ
11/24 (日) 広島文化学園HBGホール
11/28 (木) 市川市文化会館
12/07 (土) 名古屋国際会議場センチュリーホール
12/08 (日) 名古屋国際会議場センチュリーホール
12/13 (金) 金沢歌劇座(旧金沢市観光会館)
12/14 (土) 福井フェニックスプラザ

45th Anniversary Best Hit Alfee Final 2019 冬の乱 Battle Starship Alfee III

12/25 (水) 国立代々木競技場 第一体育館
12/26 (木) 国立代々木競技場 第一体育館
12/29 (日) 大阪城ホール

『THE ALFEE 三人の出会い:』

結成45周年目を迎えるロックバンドTHE ALFEE。三人は明治学院大学で出会いバンド活動を始めました。 桜井さんのグループと高見沢さんのバンドグループは、お互いに意識はしていましたが、接点はありませんでした。 そんな時、坂崎さんが桜井さんと出会い、桜井さんのグループに参加します。 高見沢さんも坂崎さんと出会い、桜井さんたちのグループのコンテストに、急遽参加することになりました。 ここで初めて、三人が揃い桜井さんのグループでの音楽活動が、始まることになりました。 当初4人での活動でしたが、もう一人の方の諸事情により三人でのバンド活動となり、今日に至ります。

『私とTHE ALFEEの出会い』

はるか昔、そう数十年前、ALFEEが「メリーアン」で、歌番組のザ・ベストテンや歌のトップテンに出るようになった時、 初めて高見沢さんを見て一目惚れしました。 私は毎週「ザ・ベストテン」にリクエれストハガキを出していました。 はじめは、高見沢さんが好きでアルフィのファンになったけど、すぐに歌も好きになり、三人でのALFEEのファンになりました。 あの当時は、ファンクラブに入るためには、ファンクラブに入っているファンの人とALFEEについての文通をしてそして、紹介状を書いて貰う必要があったのです。 そのために、私は入会済みのファンの方と半年ぐらい文通しました。現在は紹介状なしですんなりファンクラブに入れますよ!

人は生きていると、いろんな思い経験をします。 嬉しい、楽しいときもあれば、泣きたくなるくらいの、つらく悲しいときもあります。 人はそんなとき、誰かの助けを必要とします。 友達や仲間、ペットであったり、本や音楽であったり、人それぞれです。 わたしの場合は、ALFEEの音楽でした。 歌がもつ言葉は時に人の弱った心を強くし生きる力を与えてくれると、私は思います。 自分の人生の中で THE ALFEE の3人に出会えたこと、歌に出会えたことは、とても幸運だったと思います。 コンサートの最後にいつも3人は、ファンのみんなに向かって、お礼の挨拶とおじぎをされます。 最近私は「いえいえ、こちらこそ、ありがとうございました!」と、お礼返しの御辞儀をしています。 本当に、感謝しています!




結成・デビュー

明治学院高校在学中に桜井さんの美声に目をつけた同級生が誘ってフォークグループ「コンフィデンス」を結成、サイモン&ガーファンクル等のコピーをしていました。バンド名の由来は、S&Gの「ブックエンド」の歌詞に「confidence」とあることから。同時期に高見沢さんは別のクラスでロックバンド(ツェッペリン・ジュニア・スペシャル)を結成し、レッド・ツェッペリン、ディープ・パープル等をコピー演奏していました。 コンフィデンスが出場したアマチュアフォークコンテストで、坂崎さんと出会います。坂崎さんは別のグループを結成して活動しますが、その後坂崎さんのグループが解散したのを機に坂崎さんはコンフィデンスの一員としてその後のコンテストに飛び入り参加して出場しました。小室さん等に注目されデビューのきっかけを掴みました。 桜井さん、坂崎さん、高見沢さん、三宅さんの4人は明治学院大学に進学しました。ロックバンドを解散していた高見沢さんを坂崎さんが引き入れ4人体制となりました。大学は坂崎さんは1年で学費未納により除籍処分、桜井さんと高見沢さんは中退のため卒業はしていませんでしたが、2014年3月、明治学院大学よりミュージシャンとしての功績を評価され、同大学初となる名誉学士の学位が授与されました。3人は名誉卒業生として明治学院大学学位授与・卒業式へ出席し40年越しの卒業を達成しました。 当初は全員が作詞・作曲していましたが、1979年の再デビュー以降はほぼ全て高見沢さんが作っています。コンフィデンスの名はデビューに際して、株式会社オリジナルコンフィデンス(現オリコン株式会社)、及び同社発行の音楽業界誌と混同の恐れがあるとして、赤坂にあるTBS会館の下にある店の名前と、ドレミファソラシドのシドの両方の意味で「シド」という名前で動き出しました。それがいつの間にか「Alfie」に変わっていました。いずれも所属事務所の田辺エージェンシーによる決定であり、坂崎さんは「着せ替え人形のようなものだった」と語っています。デビュー当初は喋りが達者な坂崎さんがリーダーでした。 ビクター音楽産業から「浪漫派アルフィー」のキャッチフレーズのもとにアイドルフォークバンドとして、シングル「夏しぐれ」でデビューします。デビューは1974年8月25日で、銀座の山野楽器でイベントを行っています。しかし、このデビュー曲はヒットには至らず、続く「青春の記憶」も同様でした。 1975年に三宅康夫さんが脱退し3人体制となった直後の3枚目のシングル「府中捕物控」(作詞・作曲:山本正之)が発売日直前に会社の意向で一方的に発売中止となったのを機にビクターとの契約を解除しました。


ライブハウス時代・バックバンド・再デビュー・リーダー交替・ロックへの進出

その後、レコード会社の所属のない時代[10]が続き、事務所の先輩である研ナオコさん・由紀さおりさん・かまやつひろしさん・堀内護さん(MARK)・大野真澄さん(VOCAL)等のバックバンドを務めながらライブハウスで活動を続けた。ステージでは何とか観客をつかもうとコミカルな演出やMCを行う等、自身を印象付けようと努力を重ねるが、その一方で「このままでいいのだろうか」というジレンマに悩みながらの試行錯誤が続きます。その間、メンバーの3人はオリジナル詞曲作成に取り組み始めます。中でも大野真澄さん(元ガロ)からアドバイスを仰いだ高見沢さんが、楽曲の質、量ともに一番優っていました。2019年の春ツアーのパンフレットの付録のトークCDでは、バックバントとして多くの先輩アーティストにお世話になり、中でもかまやつさんと研さんのツアーでは、アルフィーのコーナーを設けて頂いたことを明かしています。 ライブハウス時代の楽曲で、再デビュー後にレコード化された曲、タイトルが変更された曲もあります。また現在でもCD化されていない曲もあります。「ラブレター」や「星空のディスタンス」は当時は、ギターインストゥルメンタルとして演奏されていました。 2015年春ツアーのパンフレットの特典のトークCDでは、ライブハウス時代に「東京」という楽曲があったことを明かしています。 1979年にAlfee(アルフィー)と改称してキャニオンレコードから「ラブレター」(作詞・作曲:高見沢俊彦)で再デビュー。 アルフィーのリーダーは1974年のデビューから坂崎さんが務めていました。フォークグループとして、高見沢さんも長年アルフィーではエレキギターを弾かない事にこだわっていたが、1980年に出された3rdアルバム『讃集詩』のプロデューサー井上鑑さんの提案で、「落日の風」の間奏でエレキのソロを入れる。またその頃、雑誌のインタビューで「アルフィーの曲は室内向けだよね」と言われたことに高見沢さんが反発。翌年の夏に野外イベントを開催することになります。また1982年リリースの5枚目のアルバム『doubt,』からロック系のアレンジで発表する曲を増やし、さらにリーダーを高見沢さんに交替し、ロックグループとしての色彩を強くします。 ブレイク前には、久光製薬のCMソングの「ニューサロンパスの歌」やポンキッキの「文字探しの歌」「ごあいさつの歌」等を担当したこともありました。 1982年夏に、所沢航空記念公園で行われた初の野外イベント「ROCK'N'ROLL FIGHTING NIGHT」では、サポートメンバーを加え、ドラムス・キーボードを含むいわゆるロックバンド編成で演奏を行いました。 この年の暮れに発売されたシングル「別れの律動」以降、再デビュー時から用いていた「Alfee」のロゴマークを変更し「ALFEE」としました。 この年よりサポートメンバーを加えて演奏されるのが通常のスタイルとなりました。 ロック編成初期の頃からドラムスがツーバスでアレンジされている曲もありました。 ロック・バンドとしてのイメージ作りとして、高見沢さんがマーシャルのギターアンプにこだわり、1983年初の日本武道館公演で、セットとしてマーシャルのスピーカーを積み上げたり(マーシャル・ウォール)、変形ギターを多用してテレビ出演するなどの演出がされました。


ヒット・1990年代・21世紀以降

1983年、コンサート動員力はあったもののヒット曲がない状況で8月24日に初の日本武道館公演を行いました。それに続く形でアルバム収録曲の予定であったがシングルで6月にリリースしていた「メリーアン」がヒットし、同年の『第34回NHK紅白歌合戦』にも出演。 翌年には「星空のディスタンス」、「STARSHIP -光を求めて-」などのヒット曲が続き、『ザ・ベストテン』(TBS系)などの音楽番組の常連にもなりました。この頃より、歌番組以外のいわゆるバラエティ番組への出演も増加。「メリーアン」以降のシングルCD(レコード)が52作連続でオリコンのランキングトップ10に入り続けています。 毎年1月下旬頃に行われる「大阪国際女子マラソン」のイメージソングを、1987年の第6回大会における「夢よ急げ」以来、2018年の「勇気凛々」まで担当。 1994年、20周年を記念してポニーキャニオン内に独自レーベル(BE∀T BOYSも含む)「Zeit」を立ち上げます。また、同年9月より毎月20日を「THE ALFEEの日」と銘打ち、数か月間シングルまたはアルバムを定期的にリリース。 1996年のアルバム『LOVE』や1998年のアルバム『Nouvelle Vague』ではストリングスアレンジが多用され、シンフォニック・ロック、ネオクラシカルメタルのジャンルにも分類されます。1997年に東芝EMIに移籍しました。 2001年のシングル「Juliet」、アルバム『GLINT BEAT』ではブリティッシュ・ロック、パンク・ロックのサウンドを取り入れました。 春・秋のライヴツアー・夏のイベントライヴを中心に活動中。2000年以降は、シングルは年に1枚(2009年はデビュー35周年を記念して3枚のシングルが発売された)。オリジナルアルバムは3 - 5年に1枚、その他新録音のベスト・アルバムやアニバーサリーイヤー企画のリリースをしている。ライヴDVDは毎年発売され、2008年8月からはEMIミュージック・ジャパンからではなく、プライベートレーベルのアルフレッドからになっています。 2015年2月21日より、ドキュメンタリー映画『THE ALFEE 40th Anniversary Film THE LAST GENESIS 〜40年の軌跡と奇跡〜』が全国ロードショーにて上映されました。 2016年12月21日、メンバー3人が還暦を迎えて以降にコンサートのアンコールで、ミリタリージャケットを身に付けて披露していた「The KanLeKeeZ」としてデビューし、アルバム「G.S. meets The KanLeKeeZ」[12]をリリースした。グループサウンズを敬愛し、最年長新人バンドとされている。同アルバムは翌2017年のレコード大賞企画賞を受賞。 2018年12月24日の日本武道館公演で、大阪国際女子マラソンのイメージソングを、1987年から31年間担当してきた記録に関して、「同一国際スポーツ大会のテレビ放送における同一アーティストによる最多テーマソング数」がギネスワールドレコーズに認められ、認定証を授与されました。



全国ツアー

THE ALFEEは1982年夏ごろより、コンサートツアーにタイトルをつけ、毎年全国を回ってコンサートツアーを行っています。 基本的に春(3月下旬〜7月上旬)と秋(9月中旬〜12月下旬)の2回ツアー(以下、「春ツアー」、「秋ツアー」と記述)が行われ、春ツアーと秋ツアーでステージセットやツアーの基本となるセットリストが変わります。また、2011年より秋ツアー終盤の日本武道館、大阪城ホールでのアリーナ公演を「ファイナルシリーズ」と銘打ち構成を一新、大ホール向けの照明演出を用いた演出、特別グッズの販売等が行われます。その為アリーナツアーは、冬のイベント(冬イベ)的な要素があります。2016年は春ツアーを「春フェス」、夏のイベントを「夏フェス」、秋ツアーを「秋フェス」、年末のアリーナ公演を「冬フェス」と題して行い、2017年以降も春夏秋冬に則したツアー名が付けられています。セットリストのチェンジも多く、2日間公演などでは大幅に変える場合もあります。最も多い年では年間113公演をこなし、2019年現在でも年間で約60公演を行うなど、ライブを中心に活動を続けています。